国の有形文化財(建造物)に登録されました
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2016年8月1日、弊館の本館三棟が国の有形文化財に登録されました
 
八千代の沿革と登録への過程

大正期創業の和風料亭。旅館を併業する。かつて料理業と旅館業は同一鑑札。飲食客、宴会客の投宿希望は少なくなかった。八千代は戦後の改廃期も同一業態を続けつつ、また現代の外食ニーズ、グローバルな旅環境にも柔軟に対応しながら、今日に至る。なお、「割烹旅館」の冠をもちい始めたのは昭和30年代。それ以前はたんに「八千代」と名乗った。八千代の登記上の創業は大正11年。創業場所は現在地ではなく松坂(阪)城の二の丸跡であった。第一回国勢調査を記念して作られた松坂の古地図には、城内ど真ん中に、「八千代料理店」の文字が記されている。調査は大正9年の出来事だが、古老の言によると八千代はもっと前から営業していたらしい。殿町への移転は昭和4年頃である。八千代は殿町の中でも、通称本殿町、歴史地名同心町と呼ばれる武家地に所在する。町内武家屋敷の敷地面積はほぼ均一で、間口7〜10間(約12.7〜18.1メートル)、奥行20間(約36.3メートル)。八千代の敷地はその倍の二筆分にあたる。本殿町は連続する槙垣や赤松、ひのき、かえで類など庭園木のつくる緑に恵まれ、また水害の心配の少ないやや高い場所にあることから、明治以降、富裕層が競ってここに別宅、分家を設けるようになった。八千代の前身敷地もそのひとつで、伊勢商人(豪商)小津清左衛門家の分家小津孝之助の購入地。孝之助は商家流のぜいたくな屋敷を建て、幕藩時代の雰囲気を一掃した(逆に旧時代を復元したのが三軒隣の原田二郎旧宅)。八千代創業者の阪本菊次郎が昭和のはじめ頃、小津屋敷を買い取り、料亭風に改装して八千代はなった。ちなみに、八千代の大屋根のほとんどに、今でも剣片喰の家紋瓦があがっている。剣片喰紋は小津分家の一統をしめす。映画監督小津安二郎も同系統。2016年8月1日に国文化財に登録された建物は旧小津屋敷の基礎部分。建物は三筆で一体をなすため、登録は一筆ずつ、合計三つの登録証を受け取ることとなった。「鶴亀棟」「大広間棟」「玄関棟」。中心市街地には未登録の古建築物がまだまだ現存する。それらを先おいて八千代の国文化財答申がなったのは、これまで記してきたようなエピソードに負うところがおおきいと思われる。

 
国登録有形文化財(建造物)とは

平成8年10月1日に施行された文化財保護法の一部を改正する法律によって、保存及び活用についての措置が特に必要とされる文化財建造物を、文部科学大臣が文化財登録原簿に登録する「文化財登録制度」が導入されました。この登録制度は、近年の国土開発や都市計画の進展、生活様式の変化等により、社会的評価を受けるまもなく消滅の危機に晒されている多種多様かつ大量の近代等の文化財建造物を後世に幅広く継承していくために作られたものです。届出制と指導・助言等を基本とする緩やかな保護措置を講じるもので、従来の指定制度(重要なものを厳選し、許可制等の強い規制と手厚い保護を行うもの)を補完するものです(文化庁ホームページより)。

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